反面教師



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              子供の幸せは 親の幸せから。
              親が幸せだと 子供も幸せ。


                今日の話、凄く長くなります。
                そして、そんなに明るくない話。
                なので、画像は可愛いサクランボにしました。 
                読んでみようかなと思われたのなら 
                どうぞ ↓ へと・・ (ゝ。∂)
                                
                







小さい頃
母が作る夕飯を待ちながら、いつの間にかウトウトして見てた夢。
なぜかいつもこんな夢・・
私は土管のような筒状のモノの底の方に居る。
上を見上げると、大きな黒い物体が自分の方へと徐々に落ちてくる。
それはグングン近づいて来て、私は今にも押しつぶされそうになる・・
もうダメ・・ と思ってるところで、夕飯が出来たのか、母に起こされる。
「はぁ、夢で良かった」 と、ほっとした記憶。


以前
前ブログで、自分のことを書いてるのを思い出しました。
読み直してみたけれど、それはかなりオブラートに包まれてた。
事実は、もっともっと書き足りない程。
少し書き換えて、ココに残すことにしました。

記憶は時と共に色褪せていく。
時が経てば、こんなこともあったよなと思えるようになる。
それがどんなにダークな記憶でも。
オモシロ オカシク 語ることが出来るようになる。




両親は私が20歳の頃、離婚しました。
でも、何故か全然悲しく無かった。
何故悲しく無かったんだろ・・ 私。

小さい頃、私にとっての父
子供の目から見ても他所の父親とは何か違ってた。
外見は、今考えるとイケてる方じゃないかと思う。
ギタリストの Char 知ってますか?
この人を見掛けるたび、何か似てるよなぁと思う、顔の雰囲気。
そして、最近 WOWWOW で “ブラックスワン” を観てる内
ヴァンサン・カッセルという俳優の顔も同じ匂いが。
京都の娘に話すと、あぁ そうだねぇ うんうん。
若い頃の父の写真を見てるというのと、こういう感覚を共感しあえる2人なので。
父には妙に魅力があったんじゃないかと思う、色気的な・・
お洒落だったし、バイクが好きで、ギターを弾く。
話も巧いので、気が合う人とは、すぐに以前からの友達のようになれる。
決して裕福で無かった家には、私の知らない人達がよく出入りしてました。

父の実家は、父親が小学校の教師。
昔のその時代は、先生という職業はえらく世間的にはグレードが高かったらしくお手伝いさんが居た暮らし。
農家であっても母親は農作業をすることなく、日傘を差して綺麗な着物を来て田んぼのあぜ道を歩いていたと。
話を色々聞くだけでも、父はお坊ちゃん育ち。
そして、行動はかなりの破天荒。
やりたい放題、したい放題。
ずいぶんと甘やかされて育ったんだなと思う。
親は教師でも、子供の教育はからっきし。
生まれてからずっと、父の実家へは1度も行ったことが無かった。
でも、私が高校の頃、初めて母と私を、新潟の実家へ連れて行ってくれたことが。
何を思ったのか・・ 何で今頃・・ 母も初めて・・
父のお母さん、私にとって祖母となるその人を見た時、全てをなんとなく納得。
初めて合う祖母に対して、何の感情も沸かなかった。
濃い血の繋がりがあるというのに・・

母とは職場で知り合い、母を気に入り、1人娘の母と婿入りという形で結婚。
新潟から岡山へと仕事に来ていた父。
何で父は母を気に入ったのか?
母は何で父を気に入ったのか?
どんなに、どう考えても、水と油の2人。
一方が気ままな 風 なら、一方は風に吹かれても散りもしない土。
お互いの中に、自分の中に無いものを感じてしまったのか・・
母に聞いても、さぁ・・ と言うだけ。
さぁ・・ って ねぇ。
この頃、母は20歳過ぎだったのかな。
世間に揉まれてない、ほんとに素直な女だったんだと思う。
職場の上司はこの結婚に難色を示していたそうです。
あれ(父)は止めといた方がいい と。
後に母から聞きました。

仕事はあまり好きじゃ無かった父。
戦争未亡人の祖母と母だけの家庭。
家も立派じゃない、そして、明らかに生活は苦しい。
そんな家に養子に入ってくれるということが有難かったのかな・・
実は、どんな人間かも詳しく知らないで?
それとも、わかってたけど、祖母は認めてしまったのか・・
その後の結婚生活・・
真面目に働いていたかと思うとすぐに仕事を辞めてしまう。
なので家の収入はパタリと途絶えてしまう。
それをまかなう為、母は一生懸命に働くざるを得ない。
その間、小さい頃、昼間祖母がめんどうをみてくれてた。
後から思っても、祖母のことは大好きだったんだと思う。
男勝りであっさりした性格の人。
何でも器用に出来て、凄いスーパーウーマン。
3才の頃、父と母が出稼ぎで東京の方に行くと聞いても一緒に行こうと思わなかった。
あっさりと、行ってきたらいいよ、お婆ちゃんといるから と言ったらしい。
その答えを聞いて、祖母はニンマリとしたらしい。
祖母と2人で暮らした半年の間に、私は肉嫌いな子になってしまったらしい。
理由は、祖母が肉が嫌いだったから・・ 
環境ってオソロシイものです。

その祖母は、私が小学1年の頃、喘息を発病し入院してしまいました。
それから亡くなるまでの間、入退院の繰り返しだった人生。
当然、私はカギっ子になりました。
暗くなっても家には誰も居ない・・
母は夜遅くなるまで働いてて、私、いつもお腹を空かせて待ってた。
入院してる祖母の状態が悪くなると母は付き添いに行き、昼間は働いてたんじゃないかな・・
そんな時は病院に泊まる母、私は何を食べてたんだろ?
父は当時どうしてたんたろ?
ちっとも記憶にない。
その頃、家に居たんだろか・・
薄いな・・ 父の存在。


いつも、一緒に遊んでた友達とも夕方が来るとサヨナラしなくちゃならない。
家で寂しく、犬や猫と親の帰りを待ちわびてた。
あの頃の私にとって、家の中に一緒にいた猫はの友達。
誰にも言えない寂しさを分かち合える存在。

そんな小学生だった頃。
隣の家のT君は、私の家来的な友達だった。
学年は1つ下だったけど、優しくて、何でも言うことを聞いてくれる男の子。
私が溺れそうになった時には、親に連絡してくれて命を助けてくれた。
なのに、時々イジワルになる私・・
今思うと、ほんとにごめんなさい。
そのT君と一緒に遊んでた時、道端の浅い水の無い細い溝に大きなサツマイモが落ちてるのを発見。
ほんとに立派なサツマイモ。
落ちてるんだから、これ拾ってもいいよね?的な感じで2人で家に持ち帰る。
当時、私の家(ボロ家)には
庭というんじゃなくて カド と呼ばれてた スペースが有り。
そこに、そこら辺から集めて来た大きめの石を組んで囲いを造り
近くの山から調達した木とか葉っぱに火を点けて、そのサツマイモを焼くことに。
今ではそんなことを子供がやってはダメだけど、その当時はそれがダメなこととは全然思ってなく。
近所の大人もカンカンの中に木をくべて焚き火をしてる時代。
・・まぁ、その当時でもこれは子供の火遊びになるんでしょね。
そのサツマイモ、美味しく焼けました、ほっかほかに。
2人でハフハフ食べたっけ。
その後、またその場所にサツマイモ落ちてないかと探してみたけど、サツマイモありませんでした。
あれは、お腹空いてる私への、天からの授かりモノだったのか?
それと、もう1つ、空き缶の中で研いだお米を入れて、同じく カド で炊飯したことも。
それもT君と一緒に・・ どんだけお腹を空かせてたのか・・ 私。
その当時、友達の家に遊びに行くと、その子の家にはいつもお母さんが居て、お婆さんも居て。
そして、おやつも有り、あったかい家庭を感じ、お兄ちゃんも居て、凄く羨ましかった。

その頃住んでた家の構造はちょっと変わってて
始めは1軒だった家を2軒で分けて住んでるというよな。
隣の家は、母の従姉妹一家。
土壁で仕切られてる境界線みたいな場所があり。
ある日、その壁の向こうから結構大きな声が聞こえてきて・・
その壁に耳を当てて聞いてみると、どうやら隣の姉妹が喧嘩をしてる。
当時、2人は中学生と高校生くらいだったかな・・
隣の家も両親働いてて、昼間は2人だけ。
ちょっと境遇的には似ていても、ちょっと違う。
どんなに喧嘩しても、2人で親を待ってられるのが羨ましかった。
どんなに待っても、1人ぽっちの私にはとても羨ましいことだった。


そうして段々私も成長し、中学に入った頃だったかなぁ・・
父が小さいながら会社を始めました。
自動車会社、かなり大手の会社の機械のメンテナンス
アフターサービスという、当時まだ誰も手を付けていない部類の仕事を。

アイデアと企画はとっても素晴らしい才能を持っている父。
人が考え付かないコトをやってしまう所がありました。

母は会社の経理を担当、父は営業を。
くそ真面目で正直な母
社交家で自由奔放な父
正反対な二人・・

一見順調そうですが、コノ頃から何となくチグハグになって来た二人。
・・・というか、以前から夫婦仲はあまり良くなかった・・ しょっちゅう喧嘩ばかり。
お金が少しは自由になる生活になると、父はやはり悪い虫が起きる。
働いて居るかと思えば、突然連絡が全然取れない。
今のように携帯も無い時代、一体何処に行ってるのかも解らない。
会社を経営してるという自覚が足らなかったんだと思う。

男って、お金を持つとダメですね。
まぁ、コレは父の場合かもしれませんが・・
いろいろありました、女性問題も。
いつも、毎日、殆んど、喧嘩の毎日。
この頃だったかな・・
お風呂に入ってるはずの母、お風呂の中からゴンゴンと凄い音が聞こえて・・
急いで中を覗くと、自分の頭を壁に打ち付けてた。
止めてー! 何でこんなことをするん! と言うと
もう死にたいんじゃ! と
その母の姿は壮絶だった。
でも、死んじゃイヤだ!
その姿、母がとても惨めで・・ 悲しくて哀しくて。

色んなことも、この他にありましたが。
今なら私も理解出来ます、この当時の母の気持。


当時、中学~高校という一番楽しいはずの時期、私の心は物凄く暗かった。
写真の私の表情が物語ってます。
毎日、毎日、嫌だった。
嫌で嫌で、ならなかった。
父がたまに家に帰ると始まる喧嘩。
とっても悲しく、心が痛い毎日・・
今でも、思い出したくない・・
こういう話、その頃どんなに仲の良かった友達にも打ち明けたこと無かった。
話しても、理解して貰えないと思った。
普通の生活をしてる友達には、分かりようも無いと思う。
まるで暗いトンネルの中を当て所もなく歩いてる感じ。
あの小さな頃に見た夢は、そのままその後の映像そのままで。

高校の頃。
物凄い台風で・・
私の部屋の土壁が雨と風で今にも崩れ落ちそうになり。
隙間から入ってくる雨を受けながら母と2人でその壁を押さえてて・・
父にその事を連絡取ろうとしても、どこに居るのかわからない。
一体どこに居たのか・・ 
その後、台風も去った何日かして、父はふらりと帰ってきた。


父は家庭的では無いんですね、子煩悩でも無い。
だから子供の頃、父に心から甘えた記憶がありません。
父ではあるけど、どこかよそのおじさんを見てるよな。
母と祖母からは、愛して貰ってるというのは感じても。


そして・・ 
20歳の頃、離婚という母の決断を聞いても、何にも不思議を感じなかった。
そうなんだ、やっぱり、その方がいいよ、これで母も楽になる・・
そんなコトをただ漠然と感じていました。

母は私の反面教師。
こういう経験から、その頃思ったのは
職場の上司が反対するような人は絶対ダメ。
どんなに見た目が良くても、人間が誠実じゃなきゃダメ。
家族を守り、家庭は暖かく、元気で真面目に働く人でなくては。

父には欠如してた、誠意。
お金持ち、社会的地位、そんなモノ全然関係ありません、私の中では。
誠意がある人、人の気持ちの解る人柄に出会うと、嬉しいのです。

たまに父から突然のように電話が入ります。 
ほんとに思い出したように、たまにです。
今は東京で暮らしてて、何でも、特許を取ったとか・・
へぇ・・ そうなんだ・・ 淡々と頷けます。
アイデアの宝庫の父なら有り得ると・・
でも、それだけ。


両親の離婚を境に、私の人生観も変わりました。
もっと、肩の力を抜いて、自分を飾らず生きて行けばいいんだと・・
自分の家庭は明るくしたい。
明るく生きよう~っ、と。


今、私は幸せです。
日々、色々あっても、幸せを感じてます。
父とは正反対のロバさん、ありがとう。

あの頃から180度違う生活。
明日は一体どうなるんだろ? 
この先、家と私はどうなるんだろ? と思わなくて良い。
私の2人の娘は幸せだと思う。
何も心配することなく成長することが出来て。

どんなに小さなことでも、幸せは感じられる。
あの頃よりはマシだと思う。
あれが耐えられたんだもん・・
そう思える今の自分。


ハァ~
長くなりました。
でも、楽になりました。
書きたかったことを吐いてしまって、スッキリ。

もし、ここまで読んで下さった方が居らしたらありがとうございました。











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by momo5r | 2013-02-18 17:55 | つぶやき